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牛丼100年
ストーリー

1899年に誕生した吉野家の牛丼。これまでにさまざまな危機を乗り越え、もっと上の「うまい」を目指して改良を重ねてきました。現在にまで受け継がれた、牛丼の100年にわたる歴史を振り返ります。

1899年

東京・日本橋にあった魚市場に、吉野家が誕生。お客様は魚河岸で働く職人たち。魚市場の仕事は大変な重労働であり、いったん仕事がはじまってしまうと、ろくに食事をする時間もない。そこで、料亭で働いていた創業者・松田栄吉は、当時はしりだった「牛めし」に目をつけた。美味しいものをお腹いっぱい食べてもらうため、当時まだ高級だった牛肉とごはんを上等な器「有田焼の丼」で提供し、職人たちの胃袋を満たした。

1926年

関東大震災による、魚市場の築地への移転に伴い、吉野家も移転。日に日に吉野家の評判は広がり、カウンターの後ろには、お客様が2〜3重に囲んで牛丼の順番を待っていた。

1945年

東京大空襲により、店舗を焼失した吉野家は、戦後すぐに屋台で商売を再開。戦災にもめげず「市場の復興に携わる人々に活力を提供したい」という思いで立ち上がった。食材も十分に揃わぬ状況下での営業であった。

1947年

戦争から復員し家業を手伝うようになった松田瑞穂は、かつて築地に出店していた人と組合をつくり、築地市場で店舗を再開した。松田は後に、株式会社吉野家の初代社長となる。
当時、吉野家の牛丼は鰻重と同じぐらいの価格で高級な食事とされていたが、店舗にはお客様が絶えなかった。1952年頃には24時間営業にも挑戦し、築地の名物店として知名度を高めていった。

1958年

株式会社吉野家設立。年商1億円という目標を自ら課し、「はやい、うまい」というモットーを掲げる。これまでは牛丼以外のメニューも提供していたが、牛丼のみに。また、「お客様は牛肉を食べに来ている」と考え、それまで具材として入っていた焼豆腐、筍をやめて、牛肉と玉ねぎだけのシンプルな「牛丼」の提供をはじめた。また、大鍋の対流を利用して、煮ながら盛りつける調理のかたちを確立した。

1962年

ご飯にまんべんなくたれをかけられるように、47個の穴が開いたおたまを開発。この頃は牛丼には国産牛を使い、たれは店舗で調合していた。松田は、たれを作るのに最適なワインを求めて、毎週山梨まで出かけていた。また、「はやい、うまい、やすい」をキーワードに多店舗化に向けて歩み始めた。
同年、畜産部を設立し、畜産の知見を深めようと東京・練馬区に肉屋を開店。当時は築地店で牛バラ肉の販売も行った。

1968年

年商1億円を突破したのち、次なる目標である年商3億円を達成するために、多店舗化を目指し、2号店となる新橋店を開店する。

1970年

多店舗化には食材の安定的な仕入れが必要不可欠。国産牛だけでは調達量に限界があった。そんな中、とある肉の卸問屋が米国産牛肉を輸入したことを知り、使用してみたところ牛丼の味に合い、取り入れることに。
当初は国産牛に混ぜ込んで使用していたが、店舗数拡大に伴い翌年には輸入量を拡大した。

1972年

牛肉の輸入量が拡大し、練馬の畜産部だけでは手狭となり、世田谷にミートセンターを開設。

1973年

当時、日本への輸入量が限られていた米国産牛肉を直接買い付けることを目的に、現地法人USA吉野家を米国・デンバーに設立する。しかし、同年起こった石油ショックの影響等から、翌年日本政府は一時的に牛肉の輸入を禁止した。

1975年

日本に牛肉を輸出できなくなったUSA吉野家は買い付けに代わる業務として、米国・デンバーに吉野家海外一号店をオープン。牛丼を「Beef Bowl(ビーフボウル)」と名付けた。

1978年

日本国内の吉野家の店舗は増え続け、1978年には200店舗を突破。1977年の100店舗突破から、わずか1年のことだった。

1979年

しかし、時代は牛肉輸入完全自由化以前。吉野家が確保できる輸入牛肉の量では、全店舗の牛肉をまかなえなくなってきていた。そこで、これまでの牛肉に、自由に輸入できるフリーズドライの牛肉をブレンドすることを決定。
また、それでも牛肉の調達が間に合わなかったため、お客様の来店頻度を減らすという最悪の手立てである牛丼の値上げを実施した。

1980年

重ねて急速な店舗展開により資金繰りの悪化も重なり、1980年7月、会社更生法を申請した。
この倒産を機に、従業員たちは「牛丼がうまくなくなったら、お客様が離れてしまう」「お客様あっての吉野家である」と身をもって実感。牛丼の品質にはより一層敏感になった。そして、本来の「吉野家の味」を取り戻すため、評判のよくなかったフリーズドライ牛肉をやめ、原点の「吉野家の牛丼」に戻した。

1991年

4月に牛肉の輸入が自由化され、吉野家の出店が加速し始める。また、同年10月には牛丼「特盛」が全店導入される。

1993年

記録的な冷夏により、日本中が米不足になり、牛丼に合う米の確保に翻弄。米不足が解消された翌年には、米の品質を大幅に向上させた。

1995年

食料管理法が廃止され、吉野家独自のブレンド米を作ることができるようになり、牛丼に最適な「きらら397」を中心に複数の米をブレンドした「吉野家規格」を作った。

2001年

お客様が求める「やすさ」に適応すべく、『吉野家の価値の再設計』を掲げ、価格改定を実施。牛丼並盛は400円から280円へ。「うまい」と「やすい」を両立させるために店舗・本部・仕入れなどで様々な改革に挑戦した。

2003年

吉野家の牛丼に、再び危機が訪れる。
12月24日、米国でBSEに感染した疑いのある牛が発見されたことより、米国産牛肉の調達が不可能に。他国から輸入することも考えたが、吉野家の品質を守れる牛肉の全量確保は厳しく、2003年末に、牛丼販売の休止を決定。決定後は、残り少ない牛丼を一人でも多くのお客様に食べていただこうと、営業時間の短縮や特盛の販売中止を行った。

2004年

2月11日、日本の吉野家から牛丼が消えた。

2005年

牛丼販売休止から1年後の2005年2月11日。なんとか米国産牛肉の在庫を買い集め、1日限定で牛丼が復活。この日は多くのお客様が列を作り、1日限りの牛丼の復活を喜んだ。
市場のニーズにあわせキャッチフレーズを「うまい、はやい、やすい」から「うまい、やすい、はやい」へ変更した。

2006年

待ちに待った米国産牛肉の輸入再開により、牛丼の販売再開を決定。
全国の店長を集めて行われた決起集会では、社長から店長にむけて「一杯残らず、誇りを持ってうまい牛丼を提供してください」とのメッセージがおくられた。
9月18日、1日限定100万食の「牛丼復活祭」を開催。

2008年

3月20日、牛丼の24時間販売を再開。

2013年

よりうまい牛丼を目指して、牛肉の熟成期間を延長。長く熟成することにより、たんぱく質が分解されてうまみ成分であるアミノ酸に変化し、まろやかで、肉本来の香りや味わいを感じられるようになった。たれは、ワインや生姜などの素材と配合を見直し、味と品質を向上。さらに熟成した牛肉とたれにあわせて、ちょうどよい甘さを実現するために、玉ねぎを増量した。

そして現在
これからもさらなる「うまい」を求めて、
牛丼の進化は続く。